こんにちは
9月18日おかげさまで『牧之原開拓史』無事終了しました。
思えば、静大生二人が企画してくれた
『リーディング・カフェで待ち合わせ』で出会ったこのテーマも
一つの到達点に達することができた感じです。


今回企画してくださった丸紅の紅林さんや、
司会を買ってでてくださった北村さんにあらためてお礼を申し上げます。

NHKでアナウンサーとして活躍する秋枝さんもかけつけてくださり、
取材してくれた。
静大生の一人が秋枝さんなのだ。
当時の幕臣には、剣の達人弓槍の達人の層は厚く、
文化人のそれもまたしかりでした。
同時に西欧列強は日本の植民地化を虎視眈々と狙ってる状況で、
慶喜は鳥羽伏見の戦いの敗戦後、恭順を標榜したため、
その護衛として腕利きの幕臣500名が集められ、
牧之原に入植したのはそのうちの200家族ほどだったとか。
今回共演した大草省吾さんは、
幕臣団のサブリーダーだった大草高重から数えて四代目、

大草のでしの山名時富から三代目の山名さんもご来場くださり、
そのほか50席ばかりの会場が溢れかえるほどの賑わいでした。
彰義隊のように新政府に反旗を翻した幕臣もいましたが、
負けを受け入れ、明治に生きた幕臣の方々の艱難辛苦が、
その後の日本の発展に繋がっていったわけで、
たぶん徳川が軍艦も導入して本気だしたら
薩長はおそらく勝てなかったのではないか。
しかし、執念深い薩長軍のことだから
反乱分子となってゲリラ活動を展開しながら
外国とかと組んで倒幕を画策していただろう。
そうなったらどんどん国力が弱まり、
日本がまるごと外国に飲み込まれていた可能性すらある。
そうならなかったのも
やはり徳川に『公心』があったからで、
公の心でことに当たってくれたおかげの江戸城無血開城だったと思う。
それから150年、入植したその地に留まり続け、
四代目とともにながめる岡田原の茶畑の緑は、
平和の象徴であり、先人の偉大さの象徴でもある。
この話、いつまでも語り告げたらと思います。
9月30日 あくび庵で静岡歴史講を行います。

奥野
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こんにちは
風はだいぶ秋っぽくなってきましたが、
日中はやはり汗ばむ蒸し暑さですね。
今月にはいって追い込んでいた
『東豊田郷土演談』の台本もようやく書き上げた。
ジャムの落合さんに借りた東豊田小学校PTAが開講70年の年に
刊行した『ふる里東豊田』という本を参考にさせていただいたのだが、
何人かの方々の思い出話が掲載されていて郷土のことを知るのには
すごいおもしろい本である。
国吉田の桃原寺さんは落合さんの菩提寺で、
昔は松茸もとれたという記述がある。
あと大正時代から昭和初期にかけて
銅貨を恵んでもらってあるく肩に猫を乗せた乞食の吉五郎さんという
人物がいたということ。
あと、吉田川をはさんで国吉田と中吉田の子供同士の石合戦の様子を
取り入れて作品にした。

池田といえば、大正後半に勃発した
池田のカイジュウ騒動………
今の公民館にはその現場となった池が昔あって
カイジュウ見たさに200mほどの池に夜な夜な人が詰め掛けたそうだ。
そこに勤一郎さんという、地元の青年がはじめたボーイスカウトの話と
日露戦争で武勇を馳せた静岡34連隊が今のパークウェイの英和学院があるところで
演習をしていたそうで、兵隊ごっこの逸話をとりまぜた。

劇団をやっていたころは、2時間くらいの作品を一から書き上げて
上演までを3ヶ月くらいかけてやってた計算になるが、
今から考えたらよくやってたと思う。
昨日国吉田組と読み合わせをやったが、
なかなか愉快で地域の方々にとってはおもしろい作品に仕上がったと思う。
もちろん地域にお住まいの方々にとっては当然だが、
なるべくどんな地域の方々にとっても楽しんでいただけるよう
普遍的な要素も取り入れたつもりだ。
郷土演談には9日は平沢乗馬クラブのインストラクターの山田由子さんを招き、
落合さんにも活躍していただく。
10日はかわもとステンドグラス工房のかわもとみえさんをお招きする。
二部の地域ゲストも地域の方をお招きし、
会場の方々共々ざっくばらんにお話を伺えたらと思います。
音楽は素晴らしいパーカッションでおなじみ永吉真弓さん。
明日国吉田、明後日池田、街援活動の実験的試みの
現時点での総決算のような企画です。
ぜひご期待くださいませ。


ではまた
奥野晃士
こんにちは!
9月にはいり、秋風も吹き始めた今日この頃
いよいよ、リーディング・カフェとか各所をまわらせていただいております。
今月私としてはいよいよ念願の初倉で大草高重をとりあげるイベントに深く関わらせていただくことが
とても楽しみです。
9月18日(祝)14時から
金谷の石畳茶屋での開催になります。

ちなみに9月16日から1月28日までは
このお店の展示室で大草家に伝わる様々な遺品の展示が行われます。


これは私が街援隊活動をはじめたきっかけである、
牧之原を開墾した旧幕臣の歴史を語る上で外せない人物,
旗本八万騎中随一の弓の名手であり、
開墾団のサブリーダーであった、
「大草高重」その人にフォーカスした企画という点で、
この企画が実現したことに私は本当に喜びを感じているし、

日本の歴史を、薩長の歴史からだけでなく、
徳川の歴史からみるということに少しでも引き戻すことができるきっかけになればと思う。
石畳茶屋のオーナーである初倉の企業丸紅の紅林さんが、
地域の活性化を願って企画してくださったのだが、

これまで、文化芸術に理解があり、
地域のことを真剣に考えていらっしゃる方々との交流の中で、
演劇が果たせる役割を試行錯誤しながら自分なりにいろいろ考えてきたのだが、
今回の大草高重展はある意味、集大成のようなところがあるし、
単なる演劇を出前するだけのアウトリーチ活動と、
私が最終的に理想とする活動は、大きく趣を異にしていることに、
最近はっきりわかってきた。
アウトリーチ活動というと、
小回りの効く作品や、WSなどのコンテンツを『出前』するもの………
みたいな感覚があることが多く、
どうしてもアーティストの余技のような取り組み方で語られたりする場合も
正直あるような印象だが、そんな時ちょっと残念な気になる。
本当に意義のある活動というのは、
地域のリソース(資源)をつかって、
もっともっとそのリソースを世界に向けて発信しうる体制をととのえることにあると思う。
そのために私の街援活動は内から外へのアプローチを心がけるべきだと考えている。
余技ではなくより専門的に地域と深くかかわり、
地元の方々との共同作業を通じて発信するのを目的として活動できたら
面白い化学反応が生まれる可能性を秘めていると思う。
その意味、私の『街援隊アート・ムーブ』の活動は、
どちらかというと『街づくり』とか『地域の活性化』に寄った活動だといえるかもしれない。
その辺、9月6日にグランシップのこかげのまなびばで少し語らせていただくつもりである。

明治以降は薩長の独裁が続き、
徳川方の人々は敗者として辛酸を嘗め尽くした感があるが、
そんな中、全ての苦難を背負い込み、
ただひたすら泥土に塗れて荒地を開墾し続けてきた
旧幕臣の存在は、
未来に伝えないといけない話だと思う。
彼らが武器を取らず、侍の矜持を捨て、
鍛え抜かれたその両手に刀ではなく鍬を握って
自らの使命を全うしてくれたその結果、
東洋一の大茶園が牧之原台地に広がり、
静岡に一大茶産業を興し、
内戦の惨禍を避けたおかげで欧米列強から植民地化を逃れることができたと思う。
第二次大戦では欧米人を相手に体の小さな日本人が奮戦して
日本は滅亡寸前にまで追い込まれたのだが、
西洋人が無敵の神でないことを証明して見せ、
植民地支配を受けているアジア人に勇気を与えた。
結果日本は敗戦したが、
独立運動がアジア各地で広まり、
多くの国々が独立し、現在の世界の形を作った。
やはりそうなれたのも
徳川の旧幕臣たちが、徹底して敗北してくれて、
日本が国力を蓄えることができたからだと思う。
ぜひ一人でも多くの方々にこの真実を伝えることができたらと思う。

9月4日には呉服町の酒井信吾さんのオフィスにて
『静岡歴史講』を開催します。
幕末の風雲児、清河八郎の暗殺をめぐり、
時代の流れに巻き込まれた速水又四郎と、
彼を救い出そうとする幕臣山岡鐵舟や勝海舟の心意気、
久能を舞台に繰り広げられた仇討ちの顛末とは………
