北九州での公演
こんにちは😃
北九州での公演無事終了しました!
2日とも満席でアフタートークもあり、
とても充実した内容だったと思います!
熊本公演のあとは、3日くらいオフがあったので
一路東大阪の若江大宮駅前の劇場に行って、
大阪春の演劇まつり参加の劇団息吹創立60周年記念公演『ザ・シェルター』を拝見。
演出は坂手日登美さん。
利賀村で中国のカンパニーの通訳を務められたこともあるそうだ。
『ザ・シェルター』は『寿歌』初演から3年後の1982年に書かれた北村想さんの作品で
2012年の加藤健一事務所の公演では『寿歌』と『ザ・シェルター』は二本立てで上演されたこともあり
今回私も寿歌に取り組んでいる以上
「これはいかねば!」と思い立っての行動だった。
旧知の仲のりゃんめんにゅーろん制作の高口さんや
昔からお世話になりっぱなしの新保さんのご好意のもと
『寿歌』愛知公演の挟み込みも行ってもらった。作品もテーマは相通じるものがあったが
ほのぼのとした家庭劇のテイストが強く、
いかに寿歌が不条理でぶっとんでいるかがわかる。
その後実家の淡路島に一泊して、
経費削減のため、神戸から出ている高速バスで小倉まで行くことにした。
3700円で7時間くらいかけて小倉に行く便を申し込むも、
待合場所が繁華街のど真ん中のビルの二階
そこから5分ほど歩いたところにバスが停まってて、それに乗り込んで出発。
何より後悔したのが、車が動き出して10分後には消灯になり、
飛行機と違って隣の人との距離も近く、暗闇の中、寝ることしかできなかった。
朝の5時過ぎには小倉に到着!ホテルで休んで午後には巌流島が見下ろせる手向山に宮本武蔵の一生を記した
4メートルの巨大石碑を見に行った。
宿泊している西鉄イン小倉の近くのバス停留所から門司港行きに乗って10分ほどで手向山に到着。
気持ちのいい晴天の中、
入り口には宮本武蔵の養子伊織も眠る宮本家の墓があった。山を登ること10分、
眼下に関門海峡を見下ろせるとても見晴らしのいい場所に
おめあての石碑はあった。小倉碑文について詳しい記事がありましたので興味のある方はご一読を!
⇨『手向山の「小倉碑文」で読む 剣聖「武蔵」と養子「伊織」』はこちら
翌5月23日は、小倉駅北口のカフェカウサというお店で俳優自主企画を開催。
夕方劇場にご挨拶にいって、
18時にお店に到着したら、
カウンターで二人おきゃく様がいらっしゃった。
お店のスタッフにご挨拶をしていると
「今日何かやるの?」
とそのうちのお一人が話しかけてくださり、
一緒に飲みながら意気投合。
演劇にお詳しいその方は
還暦を機に設立した会社の銀行口座を開設したばかりで、
奄美大島と千葉と北九州を行ったり来たりしていらっしゃるとのこと。
そうこうしてるうちにこの日オフだった北九州芸術劇場広報の酒井さん、
同じく劇場でチケットの仕事をしていて北九州の演劇界でもフリーで活動していらっしゃる亀井さん、
春日井くん、そしてその場に居合わせた鈴木さんという五人で二階のフリースペースに移って
茶話会をはじめました。
私たちも今回こういう形での茶話会は初めての試みで
どれだけ内容ある時間になるかは予想できなかったのですが、
参加者の意識が高く、たまたま居合わせた鈴木さんも
演劇界に精通していてどんどん話しが盛り上がり、
とても充実した時間になったと思います。24日には小倉で活躍する唯一の友人
米倉綾一郎くんと旦過市場の焼き鳥屋さんで食事をした。
10年ぶりくらいに会った彼は劇場にも多くのクライアントを持つ
売れっ子整体師さんになっていた。
25日には出演者と演助の中野さんと決起集会。
スモールパッケージな座組みの利点は意思の疎通が速やかにできること。26日は公演初日、
北九州を拠点に演劇に精通されてる谷瀬さんや
ふじのくに⇄せかい演劇祭にも観劇にいらっしゃってた
愛媛の劇団世界劇場の高山さんもわざわざ来てくださり、
山口県光市から高校演劇部の方々が先生のご引率で来場してくださったりと
賑やかな客席だった。
終演後はロビーで男子生徒さんから質問を受けたりそんな観客の皆様との交流もとても楽しい。
27日は公演二日目、
初日とはうってかわってアダルトな客席となった。
アフタートークにも出させていただいたが、
とても演劇に精通していると思しき方からの質問も。
プロデューサーの津村さんとも再会、
北村想さんとのおつきあいも古く、
伊丹のアイホールのこけら落としに『寿歌』を上演したことなど
立ち話程度だったが興味深い話を伺えた。
元SPAC制作の荒井夫妻も拠点にしている上田の会館のプロデュースもされており
ますますお忙しくなりそうだ。
その後米倉くんにボディーメンテナンスをお願いした。
丁寧なタッチでとても楽になった。
その日のうちに移動する予定だったが
もう一泊して小倉城を見に行った。
宮本武蔵が生涯で最も長く滞在した小倉の街並みを見下ろし、
武蔵が生きた時代のことに思いを馳せてから
小倉の街をあとにした。
奥野