FC2ブログ

おくぬ〜の『来た球を打つ!』

スイスと日本で活動する舞台俳優奥野晃士(あきひと)のブログ。

高槻の三好長慶について

こんにちは😃
スイスは連日秋晴れの穏やかな日々が続いてます。
8月の話で恐縮ですが、
いつも戯曲を声に出して読んで楽しむ会を開催してくださってるアートデアートビューさんで、
高槻市の歴史に残る戦国武将三好長慶についての
歴史演談が無事終わりました。

『高槻物語』という宇津木秀甫先生の本をもとに
構成させていただきました。

三好一族については最近色々研究が進んでるようだが、
とりわけ三好長慶は戦国時代一五六〇年の絶盛期に、
山城・丹波・大和・和泉・淡路・讃岐・播磨を制し、
近江・河内・伊賀・若狭まで影響力を伸ばした程の有力大名であり、
天下では三好長慶(ながよし)に立ち向かえる勢力は、関東小田原城の北条家くらいかといわれたほど。
彼の戦歴を見ていくと、同じような相手と戦い、勝利しては和睦し、
また戦うと次は負けか和睦、というように
「合戦」と「和睦」を繰り返しているところをみると、
どうやら長慶は、非常に寛大な武将だったとも言えるのあもしれない。
その反面、決断力には欠け、非情になりきれておらず、
一説にはうつ病でもあったと言われていて
もし、三好長慶に織田信長のような非情さも兼ね備えていたら、
天下はいち早く平定されていたかもしれない。
ここにもう一人、松永弾正久秀という悪役武将が登場する。
下克上の代名詞ともいうべき、エグいやつである。
この頃
足利将軍義輝(よしてる)も長慶に気を使って、
その息子が慶興(よしおき)と書いてたのを
将軍の名前の一字「義」を贈って「義興(よしおき)」と名乗らせたほどで、
将軍が自分の名前の一字を息子に譲ってくれたのにも大喜びだった長慶だったが
在ろう事かその跡取りの義興が、芥川城で家来の松永弾正に毒殺されたのだ。
のちに
「世に下克上これよりはじまる」
と言われた有名な事件だったが、
松永弾正久秀は、長慶が信じて方々の領地を治める仕事をさせてた家来なのに、
身上の人の後継を殺して三好長慶の権力をのっとろおと企んだというのだ。
この松永弾正も一説では高槻出身といわれている。
高槻といえばキリシタン大名の高山右近が有名だが、
三好一族は芥川山城で信長とも一戦交えたこともあり、
その時は籠城戦で水脈も絶たれた中
三好軍は馬を洗うパフォーマンスを織田軍に見せつけた………
しかしその馬にかけた水は実は米だった………というエピソードを持つ。
本番を支えてくれたスタッフとして
オーナーの杉田さんはいうまでもないが、

ライターの林夏子さんや、

口上を引き受けてくださった真田幸村にゾッコンの竿田さん、
パーカッションの野尻さんにも感謝である。
ちなみに野尻さんのご本業は鍼灸師だそうだ。



のじり鍼灸院のツイッターはこちら


会もお開きにしようと思った時
かけつけてくれた狭山のBajiさんは
講演会に参加したあとかけつけてくださった。
お連れの年配のお姐さんがすごいテンションでお客に解説を始めてくれたのですが、
ツッコミどころ満載のキャラだったのでイジらせていただいて、



東京からきた若い先生が
星座と摂津地域の関連について話をしてくださった。
かなり斬新な説だったので
うまく説明できないが、
昔の人が大和川を境にあの世とこの世の概念をもって
都市を形成したということが、
星座との偶然とは思えない符合の数々から
読み解けるという説だった。
驚いた。
姐さんが興奮して話すわけだ!
終わってからは近しい人たちとの打ち上げ。


高槻の皆様にはずっとよくしていただいてありがとうございます。
またゆっくり伺いたいと思います!

アートデアートビューについてはこちら



奥野晃士

スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。